毎日頭痛薬を飲んでいた私が、今は飲んでいません。

今日は私の頭痛歴について書きますね。

私は4才の時にめまいと耳鳴りから始まりました。

と言うと、「えー!」と驚かれます。

見えるもの全てがグルングルン回り始め、ささいな音が爆音に聴こえるため、この発作が始まると、部屋の隅に行き目をつぶって耳を両手で押さえて、じーっとしてとにかく時間が経つのを待っていました。発作が終わると、全速力で走ったかのように、どっと疲れてしまっていました。

誰か大人に言えば、何か対処ができたのかもしれませんが、その時の母の精神状態があまりいいものではなく、言えばパニックになりさらに大変。とにかく我慢していました。

結局この発作は誰にも気づかれることなく、大人になり頭痛がなくなった時に出なくなりました。

頭痛・めまい・耳鳴りは同じ原因

頭痛を自覚したのは、17才の時です。机に向かって勉強をしていると、「気持ちが悪い」となり、吐いてしまった後にガンガン頭が痛くなりました。

近くの接骨院に行くと、「運動不足だね。運動して。」と言われて運動するも良くならず、17才から頭痛薬との付き合いが始まりました。

看護師さんの時は、吐いてしまうまでになると仕事にならないため、ナース服のポケットにロキソニンを入れておいて、いつでもさっと飲めるようにしていたほどです。

私が勤務していたのが、大学病院の脳神経外科だったため、めまい・耳鳴り・頭痛を訴える方はたくさんいましたし、実際に医師や看護師にも頭痛持ちはたくさんいました。だけど医師は、

「死なない病気だから、薬飲んでおいて」くらいにしか診てもらえず、私は一生頭痛と付き合っていくんだろうなと思っていました。だから、頭痛を治そうなんて思いもしていなかったです。

めまいは仕事上ツラいものがありました。夜勤の朝方5時くらいになると、いっつもめまいの発作が襲ってきます。通常の仕事なら何とかなるのですが、緊急の患者さんが出た時に行う採血が、グルングルン回っている中で集中して針を刺すのが困難で、よく他のスタッフに変わってもらっていました。

のたうち回る頭痛

頭痛が一番ひどかったのが一人目の産後でした。割れそうな痛みと共に、吐き続けてしまうという発作が必ず毎月のようにやってきました。ある日は自宅のトイレで倒れ、家族が近くの夜間救急外来へ連れて行くと、そこのトイレでも倒れてしまい、トイレ内にいた患者さんが緊急ナースコールを押すほどでした。

でもその後に衝撃的な言葉を浴びせられてしまうのです。

駆け付けた看護師さんに「単なる頭痛でしょ」と言われたのです。確かに忙しい中、単なる頭痛に苦しんでいる私は厄介者でしかないかもしれない。でも、その頭痛にこんだけ苦しんでいるという悔しさから言葉を失ってしまいました。

車いすにかつがれベッドに降ろされ、そしたら知っている看護師さんがたまたま来てくださり、

「痛みはどこにあってもツラいから、ツラい時はツラいって言おう」の言葉にワンワン泣いてしまいました。

当院に来て下さる患者さんに多く聞かれる言葉が、「頭痛がする」と言うと、「また?」と言われることほどツラいものはないよねって。

頭痛のきっかけは日常生活に溢れている

頭痛はささいなきっかけで起こるんですよね。

例えば、匂いにも敏感。人ごみにも敏感。寝不足も。疲れも、ストレスも、全てが刺激物となり頭痛になってしまいますよね。

自分のカラダなのに、自分自身が一番厄介なカラダだなって思っているし、ゲンナリしてきてしまう時もあります。

ある方は、初めて来院して私と目があった瞬間、「生きてるのがツラい」と泣いてしまいました。そこまで苦しめてしまう症状ですよね。分かります!私も本当に悩み苦しみ、薬を飲むしかないと薬中みたいになっていました。

これから、ブログを通して頭痛から脱する方法をお伝えしますね。

頭痛に奪われた時間を今は走馬灯のように謳歌しています。そして、さきほど書かせて頂いた私と会って泣いてしまった方も、今では元気に社会復帰されています。

今、頭痛がツラく人生にゲンナリしてしまっているあなた、まだまだ諦めるのは早いです。症状を改善するのは、コツコツの繰り返しですが、必ず未来の行先は変わってきます。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

岡村志保

34年間の自律神経失調症から脱した岡村志保です。 16年間看護師をしていました。 現在は2人の育児をしながら、看護師+自分の経験を生かし、女性の悩みに特化した整体院を開業しております。 患者さんが苦痛から解放され、心温まり、自分らしく歩めるような治療を行うために、最高の治療と言葉を提供することをモットーとしています。