今日は、私のアトピー人生について書きますね。
整体の患者さんたちから、「本当にアトピーだったんですか?」と聞かれるほど、今では肌がツルツルですが、以前は痒さとの戦いでした。
私がアトピーを発症したのは、4才です。最初は、あらゆる関節の部位にアトピーができて、いつもじゅくじゅく浸出液が出ていました。近くの皮膚科に行き、ステロイドを塗っていましたが、良くなったという覚えはありません。
アトピーは本当に痒いですよね!だから私は気づくと搔いてしまい、母に怒られ・・・という繰り返しでした。
ある日アトピーからこんな事が起きてしまうの?という事件が起きてしまいました。
アトピーから失明へ
父と妹と市民プールに行きました。その当時はゴーグル着用という習慣がなかったため、ゴーグル無で泳いでいたところ、
「痛い!」顔に激痛が走りました。そして急いで父のところに走ると、
「・・・・早く帰ろう」と父が無言で私を引っ張って行きました。今でもあの時の父の驚いた顔を忘れられません。
というのも、私の顔がパンパンに腫れ上がっていたのです。
特に目が激痛だったため、眼科に行きましたがお手上げと帰されてしまうのです。しかも、1つだけではなく、何件も。幼稚園を休んで眼科を巡る毎日でした。
そしたら、ある総合病院の星野先生が、
「僕には治し方も分からないけど、僕が絶対に治してあげる」と言ってくれたのです。そんなお医者さん初めてでした。
治療方法が分からないため、毎日毎日眼科に通って治療をしました。今は機械も、治療方法も患者さんにとって安心安全なものになっていますが、その当時は全然違います。だから、看護師さんたちに羽交い絞めにされ、目をこじあけられ治療するというすさまじい毎日でした。
毎日やっているわりには、その恐怖感から抜け出せれず、かなり迷惑をかけてしまいました。
結局原因は、アトピーを搔いてその浸出液が目のまぶたに飛び、眼球の結膜にもアトピーができてしまい目をこするたびに眼球を傷つけ、そこにプール内の雑菌が入り腫れ上がったということでした。
でもその当時は治す薬がなく、アメリカに渡り移植手術も検討されていたほどです。でも、その翌年にゾビラックスという軟膏が開発されたため、移植手術はせずに済みました。
目は完治するということは一生ないようで、今でも再発を繰り返しながら生活をしています。
皮膚科医との出会い
アトピーに話を戻しますね。25才までは、近くの皮膚科でステロイドを処方してもらい、だましだまし生活していました。でも、看護師となり、生活も不規則だからか?症状がどんどん悪化してしまい、勤務になると、顔が真っ赤になり、頭の中にもできて脱毛がひどくなってしまいました。
もうステロイドでは限界と思い、検索し漢方薬で根本的に治療する皮膚科をみつけ、さっそく予約し伺いました。
診察室に入った瞬間言われたことが、
「考え過ぎだよー」とニコニコしたお医者さんが座っていました。私は上半身のアトピーと、特に顔と頭がひどかったので、常にドキドキ、不安、心配からずっと考え気が上に上がりっぱなしと言われました。その時に言われたことが、
①考え過ぎない。何事もどうにかなる。
②食事は大切だよ。この2点でした。
そこから私は、病は気からって言うよなと改めて気づき、心理学の道に進みました。そして、食事も少しずつ自然なものに変えていきました。
薬もステロイドは一切止めて漢方薬に変更をしました。そしたら、あっという間にアトピーは消えてしまいました。今では、肌がツルツルな方なので、整体の患者さんたちにも、「本当にアトピー体質だったんです?」と聞かれます。
主人のアトピーも消失
うちの主人もかなりひどいアトピー体質でした。出逢った時は、アトピーで肌がカピカピの状態で、見るのもツラい状況でした。主人の兄弟たちもアトピー体質で、入院もしてしまうほどでした。
私が通った漢方薬の皮膚科を受診し少し落ち着き、さらに結婚して、ジュース×、マック×、スナック菓子×、とにかく和食中心の食事を大切にしました。
そしたら、今は結婚7年目ですが、カピカピの肌が、今では外見からは気づかないほどになり、いつもボリボリ搔いていた主人が、今では搔く姿を見なくなりました。
長女も、2歳まで肌が弱く、お風呂に入った後が特に血だらけになってしまうほどでした。いつもの漢方薬の皮膚科に連れて行くと、軽度のアトピーと診断されました。
なので、お風呂の前に馬油を塗り保護をして、お風呂に浄水器を付け、そして、食時を整えたところ、あっという間になくなりました。
長男は気を付けようと思い、妊娠中から食事を徹底して、甘い物×、パン×にしたところ、長男は産まれた時から今もなお、皮膚はツルツルです
アトピーで困っている方も多いので、次回からアトピーの対応策も書きますね。
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