こんにちは。
前回、私の精神的なヒストリーについてでした。今回は掘り下げて、どうしたら躁鬱病や対人恐怖症、パニック、閉所恐怖症、不安症から抜け出すことができたのかについて書いていきますね。
どうせ私なんて ・・・
私は育児ノイローゼの母に育てられたためか?もともと神経質な子どもだったからか?いつも何をするにも不安で仕方ありませんでした。
表情は固く、言葉も少なく、あまり笑うってこともなかったです。。
友達からはいじめられ、先生からもかわいがられずに、何となくいつもふてくされていました。
今なら、つまらなさそうな子がかわいがられたり、友達になってと言われないよなと思いますが、当時は全く分かりませんでした。
友達は決まった数人、チャレンジ精神がないので趣味も無し、人生の目標はなく、周りにたくさんの光輝いている子が私には嫉妬にしかなりませんでした。
「どうせ私なんてブス」
「どうせ私なんてどんくさい」
「どうせ私なんて運がない」いつもいつも人や周りのせいばかりにしていました。
「伸びやすい子」と「伸びにくい子」
以前読んだ本に、フェンシングの太田選手の教師であるお父さんが書かれた本に納得をしました。伸びやすい子と、伸びにくい子の差が書かれていた部分です。
伸びやすい子の根底には安心感があること。安心感があれば、積極性があり、何に対してもチャレンジしてみようとする。そして、体を動かす機会も多くなるので運動能力も必然と伸びるし、ケガもしにくい。
反対に伸びにくい子は、いつも不安の子。不安だと積極性がなくチャレンジ精神がない。声も小さくなるので、周りから孤立しやすい。動く機会が減るので運動能力も低下する。
私はまさに後者でした。
「森田療法」との出会い
25才までは後者で、25才からの私は前者になれました。
よく「運動能力は備わったものでは?」と聞かれますが、大人になってからでも大丈夫でした。
子どもの時はどんくさくて運動音痴と思っていました。運動会ではかけっこはいつもビリ。小中と行った運動能力テストは点数がつけられないほどの低さ。体育の通知表は、いつも1・2。
その私が今では、スノボ・登山・ウェイク・ボディボ・ダイビング・単車・テニスとやってきて、積極的に体を動かし、意外にも練習でコツを掴んでやれるようになりました。
スノボは、一人でボードを担ぎ北海道にも行きましたし、車で何時間もかけて雪山に通っていました。夏は海、秋から冬は雪山に通っていたため、私の体はいつも真っ黒に日焼けし、引き締まっていたので、初対面の方には「イントラさんですか?」と間違えられるほどでした。
私がどうしてここまで活発になれたのか?心理学を学んだり、自己啓発本を読み込んだためもありますが、一番しっくり来て、なるほどと思ったのが、「森田療法」です。
森田療法とは、とってもシンプルな考え方です。「ありのままを感じる」
25才までの私は、「不安」と思ったら、
「また不安になってきた。なんで明るく考えられないの!」
湧いて出てきた感情に対して、いつもいつも否定していました。
一瞬は明るくなれるのですが、またすぐに不安の渦に入って行ってしまい、そしてまたダメダメと否定の繰り返しでした。だから負のスパイラルのように抜け出せなくなってしまいました。
でも森田療法は、
「感情は全てOK」「感情は自然なもの」
もし不安になったら、不安なままご飯を作る、不安なまま仕事へ行く。不安なまま運転をする。
最初からうまくいったわけではありませんが、だんだんと、不安になってもいつかシューってなくなるようになりました。怒りが出てきた時も同じ。人に怒るなんてダメと思っていましたが、
「あー怒りが出てきているな」
と感じ、怒りながら家事をする。怒りながら散歩するなど。
私はつまらない人間って思ってたけど、意外にも面白いほど感情がコロコロ変わっていきました。
不安な私も私、怒りの私も私。孤独感の私も私。全て私。全部ひっくるめて私。どれが欠けても私ではない。
こうやって文章にすると当たり前じゃんと思いますが、今までの私は自分をいつもいつもダメダメと否定してきました。
だから、ココロは苦しくなってしまい、やり場のない思いが、躁鬱病や対人恐怖症、パニック、閉所恐怖症、不安症を引き起こしてしまっていたんだなと、やっと25才を過ぎて気づくことができました。
これが不安症から抜け出す1つ目のコツ。
「ありのままを感じる」
誰だって、話かけたのに無視されたら悲しいですよね。嫌われちゃったのかなって思いますよね。
ずっとずっと否定され続けたらひねくれちゃいますよね。
まさに私がそうだったのですね。今まではずっと自分のことを無視してきました。
だから今は自分とのおしゃべりが楽になってきました。
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